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『嫌われる勇気』を読んだとき、アドラー心理学の理論に感銘を受けた。でも、それを実生活で本当に活かせているかと言えば、正直そうではなかった。『他人の承認や評価に縛られない生き方』が楽だとは分かっていても、実際には難しい…。そんなとき、『もしアドラーが上司だったら』というこの本に出会い、目からウロコが落ちた。
『他人の承認や評価に縛られない生き方』を実践しようにも、会社などで良く評価されていれば自分に自信が持てるし、そうでなければ、悔しくなったり、凹んだりもするので、能力のある自分を認めることはできても、なかなかありのままの自分自身そのものに価値がある。と思えなかった。
例えば、職場でも、自分より仕事が下手な人がいると「出来ない人だな。」と思ったり、自分自身も、そのように他人を能力で判断している以上「デキる人」であることを演じるために、めっちゃ努力したりする。結果的に仕事がうまく回って社会に還元できていれば、他者からの評価を気にしするのも、悪いことではないのでは?とさえ思う。
この本は、「もし、アドラーが上司だったら」というタイトルの通り、どこにでもいそうなサラリーマンのリョウくんの上司のドラさんというアドラー心理学を深く理解した先輩社員が、リョウくんにアドラー心理学を教えながら成長させていくというストーリーになっている。そのため、社会人のあるあるを、アドラー心理学であれば、どう捉えるか?という観点で語ってくれるので、サラリーマンにとっては非常に実践的だった。
例えば、先ほどの、自分の価値を認めるという話も、企業が求める「機能価値」と、自分の存在そのものを表す「存在価値」という二つに分けるという説明で、自分自身すごく腹落ちした。
営業のリョウくんは、同期が表彰されているのを見て、自分はできないやつだと自分を責める。そして、自分よりも同期の方が優秀で価値があると思い込んでしまう。 それに対してドラさんは、君のお母さんは、他の人と君を比べて、君に価値がないなんて言うだろうか?君は機能価値と存在価値をごちゃ混ぜにしている。 と言うような言葉をかける。
機能価値というのは、会社や社会が求める成果で、例えば、営業成績がいいとか、能力がある。といったことを指す。
一方で、存在価値というのは、ありのままの自分が存在することの価値をいう。企業社会に所属している以上、機能価値が重視されて、自分自身の存在価値までもを、機能価値と並列で見てしまいがちになる。
まさに、人間の価値は平等だし、自分の母親が自分のことを他人と比較して価値がないとは、言わない。(言うかもしれないけど汗) たとえ能力がなくても、自分自身が存在しても良いんだ。と思えることが存在価値である。そこに、理由はいらない。ただ、自分には価値があるんだと思うだけでいい。
(※機能価値とか存在価値はアドラー心理学というよりかはこの本独自の言い方。)
よく巷で言われる「自己肯定感」と言うのも、同じように勘違いされていて、「〇〇ができる、自分すごい」のように、能力がある自分を褒める「条件付き自己肯定」を指している人が多いように思う。少しのことでも自分を褒めて認めてあげるのは、自分を勇気づける観点では重要ではあるが、何か能力があるという条件がなければ、自分を認めることができなくなってしまう。
なので、機能価値と存在価値を分けて、能力がなくても、何もできなくても「無条件の自己肯定」が出来るようになることが、本当の自己肯定感なんだと思う。
しかし、何も能力のない自分を認めるには勇気がいる。自他者からの承認や評価に囚われることなく、「不完全な自分を認める勇気を持て(まさに、嫌われる勇気)。」 と言うのは、能力がない自分をも認めて、自分自身を無条件に肯定する、「存在価値」を認めてあげることが重要なのだと実感した。
自分の「存在価値」を認めることができるようになると、不思議と他人への目線も変わってくる。能力主義で他人を判断していたころは、「できる・できない」で人の価値を計りがちだった。しかし、「存在価値」を理解した今では、他人の能力の欠如に対しても許容できるようになってきた。
とはいえ、「どんな人でも無条件に信頼し、評価すべきなのか?」という疑問が湧いたが、この本では、その問いにも明確な答えを示してくれる。
アドラー心理学を学んでいく中で、リョウくんの心にも変化が起こった。個人の利益よりも、共同体全体の利益を優先すると言う教えに従って、不正を行っている会社との契約を取らないことにした。
しかし、その結果として営業目標を達成できず、ドラさんから降格を言い渡された。リョウくんは、「信頼してくれていると言ったドラさんが、なぜ自分を降格するのか」と不満を抱いた。
このときドラさんが教えたのが、「個人は信頼、会社は信用」という考え方。
会社というのは、無条件の信頼から成り立っているわけではない。信用とは、結果に基づくものだ。たとえばクレジットカードも信用がないと発行されないだろう?君の存在価値は100%信頼しているが、営業目標が未達成である以上、降格は避けられない。信頼と信用は違うんだ。と言うようなことを話す。最終的にはリョウくんもその話で納得し、新たな一歩を踏み出す。。。
この「信頼と信用」の違いについて、非常に共感できた。自分自身も普段は会社の中間管理職として、部下をどう評価するべきか悩むことがある。成果が出ていない場合、どうしても相手を「能力」で判断してしまいがちになる。
しかし、この本の考え方を知ってからは、「機能価値」と「存在価値」を明確に分けて考えられるようになった。成果が出なかったとしても、その人個人の価値を否定しない。そのうえで、仕事における評価を伝える。仕事における部分は結果的に能力で評価して良い。このバランスが取れるようになったことで、自分自身の気持ちもスッキリできた気がする。
「存在価値」を認めることと、「成果主義」に基づいた評価は、相反するものではなく、共存することができると言うことを、この本を通じて、知れたのが、最大の収穫だった。
ぜひ、「もしアドラーが上司だったら」を手に取って、皆さんもこのバランスを考えてみてはいかがだろうか?それは職場だけでなく、家族や友人との人間関係にもきっと役立つと思う。
二人の娘の父。サウナ、シーシャ、プログラミングを愛し、現代のシャーマン的存在を目指す。 新卒でベンチャーに入った後、起業に失敗し、現在はサラリーマンとしてマーケティングを行なっている。