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コミュニケーションスキルを磨くために、「否定しない習慣」という本を読んで、実践を試みているが、これがなかなか難しい。
今朝も、奥さんと軽い言い合いになった。 子供達がソファで遊んでいた時のこと。
娘「パパ、おにんぎょ〜」
僕「おにんぎょーがなぁに?」
娘「おにんぎょ〜!(怒り)」
僕「とって欲しいの?」
娘「うん」
僕「じゃあ、「お人形取ってー」て、言うて」
娘「お人形とってー」
僕「じゃあ、自分で取りに行きなさい」
娘「・・・」
と言うやり取りを見て。
妻「あんたは、なんて自分勝手な人なの?」
僕「え?」
妻「自分でとって〜って、自分が楽したいだけじゃないの?しかも言わせといて取らないとか。ひどくない?」
僕「違うよ、子供の自立のためには、自分の頭で考えて、自分の足で動かないと」
妻「はぁ?それって何!?私に対する否定?こないだ「否定しない習慣」の記事、書いてなかった?」
僕「え?あぁ、確かになぁ」
妻「あんたは、読んだ本の内容をアウトプットしたら、本の内容を、覚えられるとかも書いてなかった?何も頭に入っとらんやん」
僕「・・・大丈夫、次は何とかします・・・」
その後
妻「そういえばさっきの、自分の頭で考えるってのはまだ早いと思う」
僕「いや、違う、違う、それはさ。。」
妻「ほら、また否定してる!全然やね」
僕「。。。」
特に、無意識の否定というか、自分の反射的な否定には、奥さんにつっこまれて気付いた。 自分でも無意識だったので驚きだった。
前回書いた
を実践しようとはしているものの、なかなか難しい。
今回の場合「自分は正しい」を捨てきれてなかったという反省を得た。
今回の件では
妻「あんたは、なんて自分勝手な人なの?」
と言われた時に、自分を否定されたと思った。
というか、これは完全に否定に聞こえない?
とはいえ、奥さんに悪意は全くなく、「こうじゃないの?」っていう意見を言いたかっただけ だったそう。 それに対して、自分は真に受け取って
僕「違う」
って言ってしまった。
多くの否定には「悪意がない」 という前提に立てば、反射的に「否定された!」と思わない方が良いのかもしれない。
自分は、「否定された!」と感じたから「違う!」と否定したくなった。 これだと否定のオンパレード。その後も否定が続くこと間違いなし。結果的に何もいいことはない。お互いがお互いを傷つけて終わるだけ。
相手に悪意がないとしたら、自分にできることは何だろうか?
それは、「自分の意見を一旦おいて、まずは相手の意見を受け入れる」ことなんだと思う。
ちなみに今回は、奥さんも前回の記事を読んでいたので、自分に対する注意みたいな感じで、終わったのがことなきを得た。
もう一つ感じたのが、結果的に、否定に対して否定で返すという状況になったが、これはマジで何も生み出さない。
ふと、このやりとりが終わった時に、
藤井風の「帰ろう」という曲を思い出した。
最後の歌詞に
憎み合いの果てに何が生まれるの
わたし わたしが 先に忘れよう
というフレーズがあるのだが、この 「わたしが 先に忘れよう」という言葉が、言い得て妙だなと思う。
言い返すのではなく、先に、相手が言った言葉をもう忘れてしまう。ぐらい。 許すとかそういう言葉ではなく、忘れるというのが、非常にいい塩梅だと感じた。許すだと、こっちが譲歩してるイメージがあるが、忘れるだと、そんなこともあったね。という感じでもう過去を水に流せている感じが良い。
自分自身も、振り返ってみると、否定されるのが許せなかったりすることもあるんだけど、ムキにならずに、「忘れる」っていう選択肢を取れる方が、コミュニケーションってうまくいくんだろうなぁと感じた。
否定ループを終わらせるには、「自分が先に忘れる」がポイントかもしれない。
今回のやりとりで学んだのは
という2点。 何気ないやりとりでも、反射的に反応するのではなく、一呼吸置くのを意識するのと、否定されたということさえも、すぐに忘れて、自分もやり返さないってことを、今後は徹底していきたいと思った。
二人の娘の父。サウナ、シーシャ、プログラミングを愛し、現代のシャーマン的存在を目指す。 新卒でベンチャーに入った後、起業に失敗し、現在はサラリーマンとしてマーケティングを行なっている。